2017年7月21日金曜日

言語の違いからみる日本人と英語国人の自己感覚【思想】



2013年、ノルウェーから帰国した私は、日本語の感覚を取り戻すのに苦労したのを覚えている。

なんだか原因はよくわからないけど、日本語がスラスラ出てこない。
それがストレスで、余計言葉に詰まるようになった。

後々考えてみると、その当時私はノルウェーで身につけた欧米風のマインドセットのまま日本で生活していたことに気づいていなかったのだ。

言語によって、話す内容もマインドセットも異なってくる。


英語と日本語では言語感覚がまるで違う。

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言い換えれば、英語に慣れるためには、英語の感覚、考え方を知ることが鍵となってくる。

今回は、英語と日本語においての自己感覚の違いについて触れてみたいと思う。


日本人と英語話者の自己感覚の違い

英語に限らずヨーロッパの言語では、自分や相手を指す言葉はとても限られている。

しかし、日本語では様々。自分を表す言葉は、話し相手によって「わたくし」「わたし」「俺」「僕」というように変化する。

相手を示す言葉も、たくさん存在し、職場や家族内では「役割名称」で呼ぶことが多い。
お兄ちゃん、お母さん、お姉ちゃん、先生、先輩などなど

自分自身を役割名称で呼ぶことも多々。
子供の前で「先生はね〜」「ままはね〜」とか言って自己を表したりもしますね。

つまり日本語を使う際には、常に相手との関係性を考えながら、状況に応じて言葉を選ばなければならない。それに対して、英語で自分自身を表す時は、常に”I"。

自己は一切の中心としての絶対的存在なのです。
自分が世界の中心に存在して、そこから周りの状況を規定していく。

日本語では、「わたし」「僕」など自分自身を表す言葉はshe、he、you、itによって規定されているのに対し、英語ではIがyou、he、she、itを選択して規定する。

英語話者の自己は、他者を自分と対等の存在としてみているのです。

この考え方は、キリスト教の思想に基づいているのではないか。
神は人間の存在のレベルを超越した唯一絶対の存在であり、このような超越した存在から作り出された人間は、人間以上の存在にはなりえない、みな対等な存在なのです。



では日本人にとっての神は・・・?
日本人にとっての神は八百万の神。
唯一絶対としての神さまは存在しない。

善悪の判断基準となる信仰の対象は、キリスト教の聖書のように絶対的な定規ではないし、神様というのもなんだかしっくりこない。

日本人にとっては、神様よりも人間との関係性の方がはるかに重要であり、信仰の対象は「世間」なのかもしれない。

だから、人間はみな平等と言われても日本人にとっては正直しっくりこないのではないだろうか。

このような観念は言語に組み込まれており、私たちの思想にも影響してくる。

欧米人にとっては、自分と対等でない存在は存在しない。
彼らにとってそのような存在は想像できないのではないだろうか。


実際欧米人の友達に、「先輩」の概念を説明するのには苦労する。
「なんで、年齢が一つしか離れていないのに”友達”ではないの?」

少なくとも私にとって先輩は私より”上”の存在であり、どんなに仲がよくても友達とは異なる存在である。
その関係性を、「みな平等」という世界観を持った欧米人に理解してもらうのはかなり困難である。

ノルウェーに来て驚いたことがあった。
生徒が教授のことを友達のようにfirst nameで呼ぶのだ。

もちろん、英語話者も地位や職業を意識した表現や尊敬を表した表現を使う。
しかし、基本的には、人間であれば自分と対等であるという感覚が自然な彼ら。

だから教授と友達と話す時と同じように話しても、失礼にはならない(メールでは別だが)。


こうした世界観の違いは文化面にも大きく影響しているのではないだろうか。

日本人は自分の主張を、状況や相手の観点に照らして、お互いよりよいかたちになるように調整していく。
空気を読みながら、粘土のように柔軟に形を少しずつ変化させていく。
だから、日本では場の空気や他者の気持ちを敏感に読み取るための能力が求められる。

一方で、英語話者は、自己は常に中心に位置しているため、自己主張は固まった粘土のようなものだ。
複数の人々の自己主張は、調整されることはなく、衝突し合う。
日本人にとっては、この人たちの関係性はもう壊れてしまうんじゃないかと心配するほどディスカッションがヒートアップすることがある。
日本で育ってきた私は、ノルウェーでそのような状況を目の当たりにしてヒヤヒヤしたことが何度もあった。

ただ、欧米人にとってこのような光景はごく普通のことで、意見が異なりぶつかり合っても、ディスカッションの後には突然ケロッとして他の話題で共に笑いあったりしている。

これもやはり、自己を中心とした世界観からくるものなのだと思う。
自己と他者は異なるという前提に加えて、人間はみな平等だという観念があるから衝突できる。

このような欧米風のディスカッション(そもそもディスカッション自体欧米からきたものだが)スタイルをとると、自己主張のぶつかり合いの後に関係性を調整する公正さや、ルールの順守が重要になってくる。


周りの空気を読みながらディスカッションする癖がついている日本人にとって、欧米人とのディスカッションは、簡単ではない。

時には鋭い言葉や、痛いところをついてくることがある。
意見を調節せずに、どストレートな自己主張をしてくる欧米人は、日本人にとって「失礼」と感じる場合もある。

逆に、欧米人の意見にむすっとして黙ってその場を去ってしまう、又は、その後相手に対してぎこちなくなる日本人は、欧米人にとっては失礼になる。

異なる世界観は言語からも読み取れるし、言語も思想形成に影響しているのでこういったことを感じとるのも留学の楽しみの一つです。
「言語習得=異なる世界観の習得」と捉えると、言語学習が一層楽しくなるのでは...?



欧米人とのコミュニケーションにおいて、世界観の違いを知っておくことは大切だし役に立つのでシェアしてみようと思いました。

意見があればぜひコメントお待ちしてます。


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About the Author

hirono

Author & Editor

1992年東京生まれ。東京海洋大学海洋科学部卒業。大学1年生の春休みでのベトナム一人旅でアジアの魅力に魅せられ、それ以降東南アジアを中心に旅するようになる。フィリピン短期留学を2回、IELTS 受験を経て、大学3年でノルウェーへ一年交換留学。2016年8月からノルウェーの大学院にて修士課程Biosciences and Aquaculture専攻。研究テーマは微細藻類。環境や食について考えながら、日々過ごしています。世界27カ国訪問、一人旅派。2017年は読書の年📖👓

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