2017年7月25日火曜日



日曜日のピクニック

ボードの天気は気まぐれ。
突然雨が続いたり、晴れてもすぐ雨になったりする。

一週間ほどずっと雨だったからうんざりしていたけれど、晴れの日はやはり急にやってきた。さあ、出発だ。

大学から10kmほど離れたところに位置するTussvatnetと呼ばれる湖のあたりまでサイクリングした。

小道を抜けると誰もいない静かな湖が。

ボードは田舎で、東京とは比べものにならないくらい騒音が少ない。
けれど、車も人もない自然の中で耳を済ませると、わおっと驚いてしまうほどの沈黙に出くわすのだ。

普段意識することのない日常雑音が耳の奥から聞こえてくるような不思議な感覚。

自然の中、ほんとの沈黙。

たまにハエとハチがブーンとハローしてくる。
鳥たちがあれやこれやとやりとりしているのもたまに聞こえてくる。




お星様状の可愛い葉っぱは、ネバネバしてる。
昆虫を捕まえるためのトラップだ。


butterworts / ムシトリスミレ


湖でピクニックをしていたら、向こう岸に白鳥のカップルが見えた。
遠いので目を凝らして見ていると、灰色の小さい子供たちがちょこちょこ泳いでいるのが浮かび上がってくる。
ほっこり、ほっこり。








クローバーがびっしり密集している石を見つけて思わずパシャり。
カラフルでサイズも様々。可愛すぎる。





最後は、トンボさんが腕に止まってくれました。
カラフルなトンボがたくさんいたから、もっと観察してみたい。
今度散歩した時また止まってくれるといいな。



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日曜日のピクニック-静かな湖Tussvatnet- 【ただの日記】

日曜日のピクニック ボードの天気は気まぐれ。 突然雨が続いたり、晴れてもすぐ雨になったりする。 一週間ほどずっと雨だったからうんざりしていたけれど、晴れの日はやはり急にやってきた。さあ、出発だ。 大学から10kmほど離れたところに位置...

2017年7月21日金曜日



2013年、ノルウェーから帰国した私は、日本語の感覚を取り戻すのに苦労したのを覚えている。

なんだか原因はよくわからないけど、日本語がスラスラ出てこない。
それがストレスで、余計言葉に詰まるようになった。

後々考えてみると、その当時私はノルウェーで身につけた欧米風のマインドセットのまま日本で生活していたことに気づいていなかったのだ。

言語によって、話す内容もマインドセットも異なってくる。


英語と日本語では言語感覚がまるで違う。

ーーーーーーーーーーー

言い換えれば、英語に慣れるためには、英語の感覚、考え方を知ることが鍵となってくる。

今回は、英語と日本語においての自己感覚の違いについて触れてみたいと思う。


日本人と英語話者の自己感覚の違い

英語に限らずヨーロッパの言語では、自分や相手を指す言葉はとても限られている。

しかし、日本語では様々。自分を表す言葉は、話し相手によって「わたくし」「わたし」「俺」「僕」というように変化する。

相手を示す言葉も、たくさん存在し、職場や家族内では「役割名称」で呼ぶことが多い。
お兄ちゃん、お母さん、お姉ちゃん、先生、先輩などなど

自分自身を役割名称で呼ぶことも多々。
子供の前で「先生はね〜」「ままはね〜」とか言って自己を表したりもしますね。

つまり日本語を使う際には、常に相手との関係性を考えながら、状況に応じて言葉を選ばなければならない。それに対して、英語で自分自身を表す時は、常に”I"。

自己は一切の中心としての絶対的存在なのです。
自分が世界の中心に存在して、そこから周りの状況を規定していく。

日本語では、「わたし」「僕」など自分自身を表す言葉はshe、he、you、itによって規定されているのに対し、英語ではIがyou、he、she、itを選択して規定する。

英語話者の自己は、他者を自分と対等の存在としてみているのです。

この考え方は、キリスト教の思想に基づいているのではないか。
神は人間の存在のレベルを超越した唯一絶対の存在であり、このような超越した存在から作り出された人間は、人間以上の存在にはなりえない、みな対等な存在なのです。



では日本人にとっての神は・・・?
日本人にとっての神は八百万の神。
唯一絶対としての神さまは存在しない。

善悪の判断基準となる信仰の対象は、キリスト教の聖書のように絶対的な定規ではないし、神様というのもなんだかしっくりこない。

日本人にとっては、神様よりも人間との関係性の方がはるかに重要であり、信仰の対象は「世間」なのかもしれない。

だから、人間はみな平等と言われても日本人にとっては正直しっくりこないのではないだろうか。

このような観念は言語に組み込まれており、私たちの思想にも影響してくる。

欧米人にとっては、自分と対等でない存在は存在しない。
彼らにとってそのような存在は想像できないのではないだろうか。


実際欧米人の友達に、「先輩」の概念を説明するのには苦労する。
「なんで、年齢が一つしか離れていないのに”友達”ではないの?」

少なくとも私にとって先輩は私より”上”の存在であり、どんなに仲がよくても友達とは異なる存在である。
その関係性を、「みな平等」という世界観を持った欧米人に理解してもらうのはかなり困難である。

ノルウェーに来て驚いたことがあった。
生徒が教授のことを友達のようにfirst nameで呼ぶのだ。

もちろん、英語話者も地位や職業を意識した表現や尊敬を表した表現を使う。
しかし、基本的には、人間であれば自分と対等であるという感覚が自然な彼ら。

だから教授と友達と話す時と同じように話しても、失礼にはならない(メールでは別だが)。


こうした世界観の違いは文化面にも大きく影響しているのではないだろうか。

日本人は自分の主張を、状況や相手の観点に照らして、お互いよりよいかたちになるように調整していく。
空気を読みながら、粘土のように柔軟に形を少しずつ変化させていく。
だから、日本では場の空気や他者の気持ちを敏感に読み取るための能力が求められる。

一方で、英語話者は、自己は常に中心に位置しているため、自己主張は固まった粘土のようなものだ。
複数の人々の自己主張は、調整されることはなく、衝突し合う。
日本人にとっては、この人たちの関係性はもう壊れてしまうんじゃないかと心配するほどディスカッションがヒートアップすることがある。
日本で育ってきた私は、ノルウェーでそのような状況を目の当たりにしてヒヤヒヤしたことが何度もあった。

ただ、欧米人にとってこのような光景はごく普通のことで、意見が異なりぶつかり合っても、ディスカッションの後には突然ケロッとして他の話題で共に笑いあったりしている。

これもやはり、自己を中心とした世界観からくるものなのだと思う。
自己と他者は異なるという前提に加えて、人間はみな平等だという観念があるから衝突できる。

このような欧米風のディスカッション(そもそもディスカッション自体欧米からきたものだが)スタイルをとると、自己主張のぶつかり合いの後に関係性を調整する公正さや、ルールの順守が重要になってくる。


周りの空気を読みながらディスカッションする癖がついている日本人にとって、欧米人とのディスカッションは、簡単ではない。

時には鋭い言葉や、痛いところをついてくることがある。
意見を調節せずに、どストレートな自己主張をしてくる欧米人は、日本人にとって「失礼」と感じる場合もある。

逆に、欧米人の意見にむすっとして黙ってその場を去ってしまう、又は、その後相手に対してぎこちなくなる日本人は、欧米人にとっては失礼になる。

異なる世界観は言語からも読み取れるし、言語も思想形成に影響しているのでこういったことを感じとるのも留学の楽しみの一つです。
「言語習得=異なる世界観の習得」と捉えると、言語学習が一層楽しくなるのでは...?



欧米人とのコミュニケーションにおいて、世界観の違いを知っておくことは大切だし役に立つのでシェアしてみようと思いました。

意見があればぜひコメントお待ちしてます。


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言語の違いからみる日本人と英語国人の自己感覚【思想】

2013年、ノルウェーから帰国した私は、日本語の感覚を取り戻すのに苦労したのを覚えている。 なんだか原因はよくわからないけど、日本語がスラスラ出てこない。 それがストレスで、余計言葉に詰まるようになった。 後々考えてみると、その当時私は ノルウェ...

2017年7月14日金曜日




一人旅にでると、直感に従うことが多い。

感覚が研ぎさまされきて、人のオーラ、雰囲気に敏感になってくる。

人の純粋さ、フェイク感を感じるとることができるようになる(気がする)。

少なくとも私にとってはそうだ。



一人旅にでると、ふと出会いはやってくる。

その人と一緒にいたいかどうかは自分次第。

もし一回会ってチャンスを逃しても、また再び違う場所で会ったりするから面白い。

会うべき人が自然と寄ってくるのだ。





2014年の夏
オリバーは、カッパドキア行きの小さなバスの中にいた。

ニューヨーク育ちのアーティスト。
ここ6年は、たまにニューヨークへ出稼ぎに行って、ほとんどの時間は旅をしながらアーティスト活動をしているという。
彼の声は柔らかい。一言一句丁寧に心を込めるかのようにゆっくりと話す。


その時はバスの中の数人で会話をしていたから、カッパドキアのどの宿に泊まるかなどたわいのない話をしているうちに目的地に着き、宿が離れていた彼とは自然と別れた。




2日後、予定もなくフラフラと歩いていたら見覚えのある人が向かい側から歩いてくる。


「君のこと、ちょうど考えてたんだよ。」
オリバーは驚いたように呟いた。


君のこと考えてたなんていきなり言われたから
正直「What do you mean?」って返したくなった。

一瞬戸惑ったが、理由はすぐにわかった。



彼はカッパドキアの美しさに惚れたらしく、私をモデルにして、撮影を行いたいという。

「どんなアート?」

素敵なオファーだけど、自分のルックスに自信のない私は尻込みしながら聞いてみた。


「女性と自然を中心にした、ボディーペイントアートだよ」

「ボディーペイント?」

「そう、女性の体にペイントして、自然と共に写真をとるんだ

「え、それって体のどの部分?腕とか?」

「ううん、大体全身かな。下半身はなしでも大丈夫だけど、できるだけ何もないナチュラルな感じで撮りたいんだ」



私は一瞬で、自分には無理だ。と思った。

アートとか好きだけど、当の自分が裸になるなんてムリや。

こういうことして事件に巻き込まれたりしたらとか
人に自分の体を見せるような軽い女だと思われたくないだとか
様々な思いが脳裏を駆け巡る。

「ごめん、私には協力したいけどできそうにないや」

と一言で、断った。



彼は一瞬残念そうな表情を見せたが、

「まあ、これ僕のポートフォリオのURLだからよかったら見てみて。

と、URLをメモして渡してくれた。

彼とはその後、一緒にカッパドキアを散歩したが私に撮影のプレッシャーをかけることもなく、のんびりと時間は過ぎていった。




















宿に帰ったあと、私は彼のポートフォリオサイトを覗いてみた。

目に映ったのは、自然の中でありのままの姿で写る女性たち。

彼の描いたボディーペインティングが、いつの時代の、どこの部族の女性なのか不思議に思わせるようなミステリアスな雰囲気を醸し出している。

「モデルをやってみたい!」と直感的に思った。

しかし、直後にやってくるのは、周りにどう思われるだろうかとか、親が知ったら悲しむだろうとか、こう自分をガチガチ固めてくる先入観。

でも、でも、という必死に自分を止めようとしている。



自分は、人の目を気にしていつも生きてきた。
自分はこうあるべきである。こうあるべきでない。

そんな風に、周りの役割期待に答えようと必死になって今まで生きてきた。

自分をむき出しにするのはこわい。


この旅にでる前の6ヶ月間、ノルウェー留学ではこの思考回路にひどく悩まされたものだ。
理想像、先入観、これらは多くの場合、自分の視野を狭める原因となってしまう。
さらに、自分が相手に何かを期待するくせが付いていると、異文化生活においては期待を裏切られることが多く、自分の首を締めることになる。

だから、自分の中で勝手に形成された先入観、役割期待をぶち壊したかった。


こんなこと考えてるうちに、
なんてことをグズグズ考えてるんだとバカらしくなって、
やってみたいならやってみればいいやん
という結論に至った。


すぐさまオリバーにメールを送った。







ミラクルな日々




翌日、すぐに撮影を行うことになった。
彼のアートプロジェクトはちゃんとしたものらしく、書類を読まされたあとその書類にサインした。

さあ出発。

カッパドキアでは、タクシーも呼ぶことができるが、
それじゃつまんないよねってことでヒッチハイキングすることにした。



親指を立ておきまりのポーズで道を突っ立っていると、一台の車が私たちの前で停車した。

40代くらいのおじさんが運転席に、小さな女な子が荷物まみれの後部座席でなんとか姿勢を保っている。

おじさんは英語が喋れなかった。
助手席に積み重なった荷物を後部座席に移しながら、ここに座れというように両手を振りかざしている。

Thank you といって二人で助手席に詰め入った。

しかし、おじさんはドライブを始めるとすぐにお金ちょーだいというように手で器を作って私たちにねだってきた。

オリバーは、これはヒッチハイキングだから、お金は発生しないよ。
申し訳ないけど、お金が欲しいなら車から降りるよ。といって私たちは車から降りることになった。

おじさんには悪い気がしたが、ここでお金を払ってしまうとおじさんはヒッチハイキングでお金がもらえるものだと勘違いしてしまうかもしれない。
他のヒッチハイカーにとってトラブルの原因になりかねないのだ。

車から降りた私たちは、再びヒッチハイキングを始める。
もともと車があまり通りかからない場所なので、親指を立てながら歩いてみる。


すると一台の車が、私たちが行きたい方向から車がやってきて通り過ぎた。
と思ったら、Uターンして戻ってきた。トルコ人の家族だった。

「乗りなよ」と息子らしき人がいう。

「ありがとう、でも僕たちは今君たちが来た方向に行く予定なんだ。気持ちは嬉しいけどありがとう。」

すると、「どこでもいいから君たちが行きたい場所に連れていってあげるよ」と男はいう。

私たちは、もしかしてまたさっきと同じパターンかもしれないと疑って、
「ノーマネー。」と確認したが、男はもちろんもちろんと言う。

「おっけー。じゃあお言葉に甘えて」

私たちは後部座席へ向かう。

後部座席には母親と思われるトルコ人の女性が座っていた。

彼女は英語が話せないが、私たちが隣に座るとすぐに、ボディーランゲージをフルに使って、キャンディーやチョコレートなど自分の手元にあるものを

「ほい、受け取って、受け取って」と次々に私たちに渡してきた。

さらに驚いたことに、この女性はお財布を取り出したかと思うと、お札を取り出して私たちの手にギュウッと握らせてきた。

いらないと言っているのに、一向に聞こうとしない。
このお金で近くの公園に入れるからぜひ見て欲しいということらしい。

「今はラマダンの時期だからね。みんなお祭り気分なんだ。人を助けてあげたり、何かをプレゼントする時期でもあるんだよ。だから心配しないで。」

動揺する私たちに彼はケタケタ笑った。


私たちは最終的にお金を受けとり、深々とお礼をし別れを告げた。

オリバーは驚いたように呟いた。

「鳥肌がたったよ。こんなこともあるんだね。昔、友達にレアなTシャツが欲しいと頼まれて、僕の旅先で手に入るものだったから手紙と一緒に送ったんだけど、一切感謝の言葉が返ってこないことがあった。その時は少し腹がたったけど、自分が誰かのためにしてあげたことってこうやっていつか巡り巡って返ってくるもんなのかもしれないな。」

彼の口からちょっと腹が立ったと言う言葉が出て来たのが意外だったが、
うんうんと共感せずにはいられなかった。














オリバーは撮影地を探しながら、アートの素材として使う花束を作り始めた。

彼は植物を摘まみ取るたびに、植物に話しかける。ごめんね、君の一部をもらうよって。

根っこからは絶対に引き抜かない。

「ここの植物たちは強いね。水分がなくてカラカラの地だけど、こんなに根を張って力強く生きてる。





「オリバーはなんでベジタリアンなの?」ふと聞いてみる。

「I simply don't deserve it」

この言葉が突き刺さった。

ベジタリアニズムについては欧米人との会話においてよくでてくる話題だが、
あーだのこーだの色々なディベートが交わされる。

肉は体によくないという栄養論、環境ベースで考える環境保護論、動物愛護論などなど。

でも、オリバーのこの返事はシンプルで言い訳がましくなくて、美しいと思った。







歩き疲れてきた私たちに容赦なく照りつける太陽。
日陰を探して、ボディーペイントを行うことになった。

「この筆は日本で昔に買ったんだ。しなりがよくて気に入っているよ。

日本の製品がこんな風にオリジナルティーの溢れるアートに使われているのはなんだか意外で嬉しかった。


studioの洞窟 


「これから2−3時間かかるけど、頑張ってね。疲れたらすぐ教えてね。」

シャツを脱ぐのはやはり恥ずかしかったが、さっと脱いで彼に背中を向けた。

気温は35度を超えているだろうか、動いていなくても汗がじわじわ滲み出てくる。
オリバーはは慣れた調子で、でも慎重に、肌の上で筆を踊らせていく。

「これは植物?何を描いているの?」

不思議なペイントなので、インスピレーションはどこからくるのか聞いてみたくなった。

「君のエナジーも含め、今ここにあるエナジーを感じ取ってそれを形にしているんだ。作り出すって言うよりもインスピレーションが舞い降りてくるんだ。」

ふーん.....。その時はよくわからなかったが、今はその意味がわかる気がする。

自分が訪れた場所の匂い、湿度、その時一緒にいた人。
全ての時間に独特の雰囲気があって、自分の感度も違う。

その時のエナジーを感じ取ったまま、自由に描いていく..


 

撮影は丸一日行われた。

ただの写真でさえあまり慣れてない私にとって写真撮影なんて、最初の数時間は恥ずかしくてしょうがなかった。

リラックスしようとしても、なかなか体がこわばって自然な表現をつくることができない。
でもだんだん慣れてきて、自分を表現できるようになってきた。



credit to @Oliver Halsman Rosenberg

credit to @Oliver Halsman Rosenberg

credit to @Oliver Halsman Rosenberg

終わったあとやっぱりやってよかったなと思った。

解放された気がした。
自分をからだで表現するって意外と難しい。
自分の心が、からだが思った以上にガチガチに凝り固まっていることにも気づくことができた。

ココロもカラダも、しなやかに、しなやかに。

新しい発見のある出会いだった。



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追記:
どうやらこの旅で制作されたアートがとあるカルチャー雑誌に8ページ記載されることになったらしい。
なんだか嬉しい。





his art: https://www.instagram.com/oliver_halsman_rosenberg/ 
            www.inpraiseofthevoid.tumblr.com

波のように現れては消える【トルコ・カッパドキア】

一人旅にでると、直感に従うことが多い。 感覚が研ぎさまされきて、人のオーラ、雰囲気に敏感になってくる。 人の純粋さ、フェイク感を感じるとることができるようになる(気がする)。 少なくとも私にとってはそうだ。 一人旅にでると、ふと出会いはやってく...

 

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